2016年10月17日取材
今回は、PDIS情報拠点広報チームによるインタビューの最終回となります。これまでのインタビューでは先生方のプロフィールからお話をお伺いしていましたが、今回はその内容は他の記事(http://brh.co.jp/s_library/interview/81/ など)にゆずり、 PDIS事業の始まりから今後の展望ということでお話をお伺いしたいと思います。まずはPDISが始まったいきさつからお話をお伺いしたいのですが。
皆さん、よく知っていると思いますが、PDIS事業の前段として文部科学省による日本のタンパク質研究分野のプロジェクトとしては、第1期のタンパク3000研究、第2期のターゲットタンパク研究というのがあって、それらはおもに構造生物学者が中心となって続けてきた支援研究でした。ほかにも、半世紀以上も前にはがん特別研究(がん特)というのがあって、これは長いこと生命科学研究全体を間接的に支えてきた基盤的な支援研究でもありましたね。それと、基礎的な研究を支援するということでは、タンパク質の研究以外に、ゲノム研究や脳科学研究といった5年単位の支援研究がありました。でもそういった大きな支援研究というのは、大体10年位すると先細りになって、もういいんじゃないかという事で終了するのです。研究支援というものは時代の要請に対応しますので、永遠に続くということではないのですね。それでいろいろと形を変えながらやっていくということになるのです。そのようなわけで、日本の構造生物学を支援する研究(タンパク質研究)も第1期5年、第2期5年と計10年間継続してきて、同じような形で更に5年延長というのは難しいだろうと、方向転換を迫られていたんだと思います。その時、これまでのような構造生物学の先端的研究ということのみでは、後継のタンパク質の研究を支援する研究費は得られないのではないかという危機感を背景に、新しい企画を立ち上げる必要性があったのですね。
これまで、個人が研究費を獲得して進める研究以外に、同じテーマで多数の研究者がグループを形成して進める研究があり、私はこれはね、日本の学術を今日のように非常に高めた非常に優れたシステムであったと思っています。例えば、科学研究費補助金においても重点研究から特定研究、新学術研究というように名前は変わっても同じ理念でグループ研究が継続しています。一方、JST(科学技術振興機構)でもCREST研究やさきがけ研究などのように、同じ戦略目標を掲げた研究体制が構築され、長年、大型の研究費を配分してきました。これらの支援研究は、個人が成長するのみでなくて、グループ研究を介して、結果として該当の学術領域が大きく発展してきました。
そのような中で、当時KEK(高エネルギー加速器研究機構)にいた若槻壮市先生や大阪大学の高木淳一先生らが中心となって、ターゲットタンパクの後継事業として新しい企画を構想していました。そのキーワードは「構造生命科学」でした。具体的には、JSTのCRESTやさきがけに「ライフサイエンスの革新を目指した構造生命科学と先端的基盤技術(略称 構造生命科学)」を、そして一方文部科学省の事業としてPDISを立てることのようでした。私自身は当初、構造生物学のトップ研究者がCRESTの研究総括をやればよいと思っていました。でも若槻先生や高木先生から「構造生物学ではなくて、構造生命科学という新しい領域を立ち上げていかないと今後の見通しは立たない」、その上に「どちらかというとCRESTの総括には構造生物学者ではなくて広くライフサイエンスがわかるシニア研究者を置きたい」ということで、私にCRESTの総括を依頼してきました。「私は構造生物学のプロではないし、しかも私自身はずっと生化学・酵素学の基礎研究しかやってこなかったので、総括を引き受けることは無理(笑)」とは思ったのですが、これまで私自身の研究も科研費で長年、支えられてきたので、「この年齢になれば、ある程度は学術の振興に恩返しをしなければならないかなあ」と思いました。それに、若槻先生からは「同じ構造生命科学で立ち上げるさきがけ研究の方は私が総括をやりますので、連携していきましょう」とも言われたので、そういうことならと思って引き受けることにしました。そういうこともあって、さきがけとCRESTは合同して領域会議やシンポジウムなどを、定期的に開催してきました。
JSTがCRESTとさきがけの「構造生命科学」事業を立案する動きと並行して、文科省では「技術の高度化と外部研究者を支援する新しいタンパク質研究事業(PDIS)を立ち上げることになった」と言われたのですが、当時私は、実はPDISという事業の実態や設立の経緯は知りませんでした。ただ、PDIS事業の立ち上げの時、推進委員会委員長の郷通子先生から電話をいただき、「PDISは構造生命科学をキーワードとした研究であるCRESTやさきがけと表裏の関係にあり、事業の全体は委員長が仕切りますので、形式的に推進委員会の副委員長をお願いします」と頼まれました。ところが、一年後に郷先生が急遽退任するということになり、今度は委員長への就任を所管のライフサイエンス課から強く依頼されました。そこで私は、長年の畏友であり構造生物学に造詣の深い吉田賢右先生が副委員長に就任していただくことを条件に委員長を引き受けることにしました。委員長になったばかりの時に私は、「やとわれマダムと一緒だ」と言っていたのですが、そうしたら「やとわれマダムという言葉を外で使ってもらっては困ります」とライフサイエンス課に言われました(笑)。
それでは、先生はPDISプロジェクトの立ち上げの最初の時から関わっていらしたわけではないのですね。
立ち上げのことは、私は全然知らなかったです(笑)。それにね、PDISが開始して2年後、セルイノベーションが終了、その後継課題事業であるゲノム遺伝子研究(代表は菅野純夫先生)がPDISに加わりました。さらにその翌年、予期に反して突然PDISはAMED(日本医療開発研究機構)に参画、私がプログラムスーパーバイザー(PS)、吉田先生と菅野先生がプログラムオフィサー(PO)に就任し、PDIS事業は新たな課題を抱えて激動の時代に入ったのでした。
AMEDが何をする組織かわかりませんでしたが、医薬品研究課に組み入れられることから、当初、漠然と創薬研究にシフトするのかな?などと想像していました。しかし当時AMEDに関しては、情報が錯綜しており、注視するという以外に方策はありませんでしたが、基礎研究より、どちらかというと創薬研究が中心になるかもしれないと想像したので、当初、私たちには漠然とした抵抗があったのです。これまでにも応用研究に特化すると基礎科学が空洞化するということが話題に上っていて、私も吉田さんも基礎研究を重視するという立場で一致する見解を持っていたので、不安を抱いていました。ただ、やはり科学技術というものが、社会の発展の基盤になってきたということは、科学史を紐解けばその通りなのですね。古くは産業革命から、またそれ以後の未曾有に発展した分子生物学そして現在の情報科学に至るまで、皆そうです。だから、私は基礎研究で重要なものは、応用研究に発展するという必然性があると思っていたので、基礎研究が担保されるのであれば、必要に応じて応用研究をやるということに関して、私にはそんなに大きな違和感はありませんでした。でも、AMEDに入るということで、やはり創薬を中心に研究しなければいけないのかな、というような雰囲気が強まってくることに懸念はありました。ただもともとPDISの課題名には創薬等・・・って書いてあるので、当然と思われるかもしれないけれど、これは最初から推進委員会の中で、「創薬がメインではあるけれども創薬のみを支援するのではなく、生物学やライフサイエンス全体をサポートすることを強調するために"等"が重要である」ということはしばしば議論になってきた経緯がありました。しかしAMEDが社会発展のための成長戦略に資する政府肝いりの組織であるということと、機構の紹介には「医療分野の研究開発における基礎から実用化までの一貫した研究開発の推進・成果の円滑な実用化及び医療分野の研究開発のための環境の整備を総合的かつ効果的に行うため、医療分野の研究開発及びその環境の整備の実施や助成等を行います。」と書かれていて、私はこれだとPDISにとってはちょっとどうかな、と思ったんですね。それで、AMEDが正式に発足する前にPSの私とPOの吉田先生、菅野先生とで、AMED理事長に内定していた末松誠先生を慶應大学の研究室(当時)を訪問して、意見を窺うことにしました。その場で私たちの見解を話しますと、末松先生からは、「田中先生はこれまでやってこられた基礎研究をこれで終わらせるんですか」なんて逆に皮肉られました(笑)。彼自身は「そうではない」と。「AMEDの中では、いろいろなプロジェクトが立っていて、もちろん、感染症やがんの研究などは、病気を治すというちゃんとした目的のある、社会貢献に近い研究であり、それらがAMEDの主流にはなるけれども、それらの多様な事業の中で、横串を通せるようなプロジェクトはこのPDISだけです。だから創薬を目指した応用ということだけではなくて、PDISはAMEDに参加しても基礎研究はちゃんとやってもらいたい」ということを言われたのですね。その言葉を聞いて、正直、それなら我々が参画してもそう違和感はないかなあ、と思いましたね。
そのような経緯があったのですね。
実は、このAMEDへの参加の有無にかかわらず、PDISの仕組みは結構よくできていたのですね。PDISは「解析」、「制御」、「情報」の3本柱でできていて、「解析」というのは構造生物学を中心とした拠点、「制御」というのは創薬スクリーニングを中心とした拠点、そして「解析」と「制御」を下支えするための情報科学という拠点から構成されており、各拠点が連携を図りつつ事業を実施してきました。 PDISは、創薬・医療技術開発支援の強化を図ることが目標ですが、具体的な事業がとしては、技術の「高度化」と外部研究者の「支援」という2つのミッションをもっていました。「支援」は、最先端技術を持った課題担当者が自分の研究ではなくて他の方の研究を支援するわけです。このミッションは、これまでにないとても新しい試みだったので、この事業が出発した時には、実施者の多くが上手く進んでいくのだろうかと、大きな不安を持っていたと思います。中でも実施者が重圧に感じたのは、エフオートの総和を100%とした場合に、「支援」への配分を50%以上とすることが謳われていたことなんですね。私は事業で数字を明記するのは、ミッションの設定としては分かりやすいとしても、学術研究としては良くないと思っていたのです。タンパク3000みたいに、3000という数字のために、何でもかんでもこの数を達成しないとその事業は成功していないというようにみられるということがあるのでね。PDISでも、「じゃあ支援50%とは何だ」ということが問題になる訳です。そこには、たとえば配分された研究費の50%を費やすとか、研究時間の50%を支援に使うとか、いろいろな考え方があるわけですね。結局、私と吉田さんは「まあそこは曖昧にしておこう」と(笑)。
なるほど。
ところが中間評価では「支援が50%に達しているかどうか」が審査されるのですが、まあ明確な判断は難しいですね(笑)。ただ私はこの事業が大きく成功したポイントは2つあると思っています。1つはですね、構造生物学っていうのは非常にマニアックな世界で、これまで構造生物学に通じている人以外には、構造生物学を研究に取り入れるという余地はほとんどなかった。それがPDISに依頼すれば全面的に支援を得られるということで、生命科学一般に構造生物学をとても身近なものにしたという功績は極めて大きい。構造生物学というのは、タンパク質機能の解明の分子基盤ですよね。遺伝子の場合は塩基配列の異常でいろいろな病気が引き起こされるけれども、タンパク質の機能破たんの場合は、多くの場合、構造的な異常が原因ということになるのでね。それで、生理学者や細胞生物学者でもタンパク質の分子構造を知って、その分子機能や異常のメカニズムを知りたいと思うのは当然ですね。その時、構造生物学者に知り合いがいる人は、その知人に解析を依頼することができるけれど、いない人はできない。しかしPDISでは人間関係と関係なく、非常に公正なルールとして構造解析の支援が受けられる。即ちこれまでの構造生物学は非常に独自な世界であったのですが、PDISを介して支援を受けると、誰でも構造生物学的な要素を自分の研究に取り入れられるようになった。その結果、タンパク質に対する考え方もずっと深くなり、論文のクオリティーも上がるというようになってきた。構造生物学を生命科学者に普遍化したことは、PDISの大きな功績でしたね。
確かにそうですね。
もう1つの大きなポイントは、制御拠点の長野哲雄先生が立ち上げた東京大学の創薬機構にある化合物ライブラリーですね。これはターゲットタンパクの頃から拡充し、現在、創薬機構には20万以上の化合物があって、PDISに申し込めば、誰でも自由に利用できるようになった。これまでは研究者が創薬研究を推し進めるために化合物スクリーニングをしようと思うと、企業と一緒にやらなければ全然できなかったが、その必要がなくなった。今の日本の企業には誰とでも共同研究をするという余力はなくなって、興味深いテーマであってもなかなか動かず、動物実験ぐらいまでいった化合物が出たら、「じゃあ考えましょう」っていうことになるのですね。ということは、ほとんどの研究者は創薬の研究ができなかったのです。それが、制御拠点の化合物ライブラリーのお蔭で、スクリーニングの技術指導を含めて、簡単に行えるようになった。その結果、研究者の創薬志向がすごく高まったのです。これは、AMEDの方向性と明らかに合致するものでしたね。実は、AMEDの事業の中には、一見PDISと類似しているように見える創薬支援ネットワーク事業というのがあります。しかしこの創薬支援ネットワークは、各大学に資金配分して創薬のためのシーズを集めてくるという事業ですが、PDISは基礎研究に基づいたアカデミア創薬を目指すものであり、その戦略は根本的に異なっています。AMEDでは、両者の連携が期待されており、実際、AMEDが発足した時、両者の連携を密にするという目的で、制御拠点内に構造展開領域が設置されました。いずれにしてもPDISに相談に行けば、無料で化合物ライブラリーを自由に利用できます。またスクリーニングのノウハウを含めて指導してもらえるのです。PDISの大きな功績は、アカデミア創薬の基盤を創ったことですね。
金銭的にもありがたいことですね。
そう。すでに述べたことですが創薬研究っていうのは企業が主流で、大学の研究者は一部の特権階級とは言わないけれど、企業と特別な関係を持った人しか創薬研究はできなかった。しかしPDISでは非常に公平な形で多くの生命科学者が創薬を自分の手で行うことができる。このシステムの創成には長野先生たちのご努力がすごくあるのだけれど、アカデミア創薬ということがどういうものであるかということを明確にして非常に充実させてきたというのが二つ目のポイントではないですかね。長野先生が言われていることで重要なことは、「アカデミア創薬は、決して企業の下請けではない。企業ができないことをやって、単離した有望なリード化合物が育ってきたら、それを企業に導出して創薬として発展させる」ということですね。大学の研究所には、創薬に結び付くようなアイデアがあっても、具体化して研究することは難しい。一方、欧米では簡単にベンチャー化というのが成り立っていて、研究者自身がベンチャーを設立して、創薬研究を推進するが、日本では、残念ながらベンチャー企業としては、数例を除いてほとんど成功していないのが実態ですね。その中でPDISが担ってきたミッションの1つは、ベンチャー企業の代替とは言いませんが、創薬意欲を掻き立てることに大きく貢献してきた気がしています。という訳で、PDSI事業では、構造生物学の一般化とアカデミア創薬の普及という2つのミッションで大きな成果を挙げてきたと、私は思っています。
それと、先ほどの「支援」と「高度化」の件ですが、技術っていうのは「高度化」しないと要請に対応できません。従って「高度化」は、効率的に「支援」するためにも必要であったのですね。一般にCRESTとか他のいろんなプロジェクトの評価というのは最終的には論文に集約される、つまり論文の数が多いことや、質の高い論文がどれだけあるか、ということが高い評価につながります。もちろん、評価の中には社会に役立つということもありますけれど、生命科学においては、評価の判断基準は主に論文なんですね。でもPDISでは最初から「支援」をすることが建前でしたので、論文作成という形を積極的に求めないということを謳っていたのです。とくに創薬支援が主なミッションである「制御」拠点では、論文っていうのは難しいと思うでしょう。
そうですね。
ところがですね、5年経ったら莫大な論文がでてきたんですよ(笑)。これは、この「支援」によって、支援を受けた人の論文に構造生物学的な要素が加わったために質の高い雑誌に発表できるようになったからなんです。それと、ほとんどの場合、課題実施者は支援した成果を依頼者との共同研究として論文にするわけですね。そうしないと実際に働いた人のキャリアアップにつながらないから。繰り返しますが、評価の基準として必ずしも論文作成は求めないと謳いながら、最終段階でまとめてみますと、非常にたくさんのそれも質の高い論文がたくさん出てきたのですね。そして、これまでサイトビジットをしてわかったことがあるのですが、自身の研究としてすごく成功している実施者たちに、それだけ面白いことをやって成功していたら、支援なんかするより自分のことをやっていた方がいいんじゃないかと訊ねると、「いや、そうじゃない。プロジェクトを持っているために依頼があるし、依頼者の要求を克服するために技術革新が必要となり自分の技術をより高いレベルに発展させることができた。だからPDISに続くプロジェクトが立ち上がったらぜひ応募したい」という人が多かったのですね。これは、我々執行部としては非常に嬉しい話でした。最初は、「支援ばっかりで研究にならないからいやだ」という人が、私は結構いるんじゃないかと思っていたんですが、そういう声はあまり聞こえてきませんでしたね。これもPDISの仕組みとしてすごく大きかったんじゃないかという気がしますね。
総じてPDIS事業は大きな成果をあげたということですね。それでは次に未来に目を向けてこの事業の今後の展望に関してお伺いできますか。
PDISもあと1年という頃になった時に、次期事業をどうするかっていうことはどうしても問題になってくる。そのことを話し合う場として文科省のライフサイエンス委員会に作業部会が設置されました。当初ライフサイエンス課からは「PDIS事業は5年で終了、事業の単純な継続はありません」と言われていたのです。これだけ成果が挙がっているのにと思いながらも、それでもやはり再編は必死ということでしたが、作業部会ができたことで一安心しました。というのは、作業部会は事業の存続を議論する場ではなく、後継事業をよりよいものにするための場であると聞かされたからでした。我々も現在のPDIS事業には、確かに反省しなければならないことはいろいろあることを自覚していましたしね。だからそういった課題については、我々も作業部会に呼ばれて説明をしました。しかし、実際に次期事業を立ち上げることを議論する段階になってPDISの評価がえらく高くなったのですね。これには各拠点の課題責任者あるいは実施代表者と言われている方々が、非常に努力をされたということが大きかったのではないでしょうか。それで文科省もAMEDも「支援」と「高度化」というPDISの基本ミッションは、そのまま継承しようということになってきたのです(笑)。
そうなんですか。
そう(笑)。我々執行部としてはですね、後継事業のしくみの策定と予算の申請までに作業部会を含めて何度かライフサイエンス課やAMEDと討議する機会がありましたので、各拠点に作ってもらった資料をもとにして、説明を繰り返してきました。そして文科省はAMEDと打ち合わせた後、最終的に8月に予算申請をすることになったようです。しかし我々が関与できるのはここまでで、その後の経過(次期事業の策定など)については、全く知らされていません。おそらく今まさに次期事業がどういう形になるかということをAMEDとライフサイエンス課でやっていると思います。
ただ、これまでの事業では、次の事業につなげてきた人は実施者である場合が多かったのです。一方、執行部として中心にやってきた私と吉田先生、ゲノミクス関係では菅野先生にも入ってもらいましたけど、実は私たちはこの事業の実施者ではないのですね。つまり、実施者との利害関係はまったくない。次の新しい事業が立ち上がっても、我々は実施者になって研究費をもらうということは一切ありません。そういうことで、他の事業とは違ってAMEDやライフサイエンス課からはいろいろと意見を聞きたいと言われて、我々は率直な意見を言いました。AMEDも当初、「実施者とは一切会わない」と言っていたのですが、「先生方は実施者ではないですよね」ということになって、AMEDとライフサイエンス課の双方から「次期事業の立案に協力してもらいたい」と言われたので「協力は惜しみません」という返事をし、いろいろな提案をしてきた訳です。まあ、どういうようになるかは、これからだと思いますけどね。
そうなりますと実施者と文科省やAMEDとの重要なパイプ役ということですね。
ええ。ただ当初、ライフサイエンス課はこのPDIS事業の継続に危機感をもっていたようです。というのも、実施期間中に解析拠点長の若槻先生がスタンフォード大学に転出、情報拠点長の五條掘孝先生がアブダラ国王科学技術大学に移る、制御拠点長の長野先生が定年を迎えPMDA(医薬品医療機器総合機構)に異動、その上に推進委員会の委員長が1年で変わった。そこで、この事業はもたないのではないかとの噂も流れたみたいですね。しかし、私は拠点長の辞任は認められない、具体的なことは、代行が協議して実施するとしても、事業が終了するまで、拠点長の辞任は困ると主張して、若槻先生や五條掘先生には頻繁に帰国してもらい主要会議などに出席していただきました。結果的に事業の円滑な遂行としては、これがよかったと思っています。PDIS事業の推進については、私と一緒に途中で入られた副委員長(PO)の吉田先生が非常に厳格にやられていたことが、一番大きかったと私は思っています。実際、私も吉田先生も独自のスタイルでライフサイエンス研究をやってきた経験がありましたので、それを生かした議論をよくやってきました。私も頼まれた以上は、その事業で頑張っている多くの人たちがいるので、この事業は何としても成功させたいと思っていましたからね。それに推進委員会の委員の先生方など協力者もすごくたくさんいました。でも、吉田先生ともよく言っていたのですが、このPDIS事業は、研究者それぞれが一国一城の主のようなCRESTに比べたら4?5倍忙しいと(笑)。例会、シンポジウム、全体の推進委員会会議、各拠点の推進委員会会議など数多くの仕事がありました。特にサイトビジットでは、北は北海道札幌から南は九州長崎まで、全国各地を行脚しました。その上に毎回数時間、詳しい説明を受け、その後長時間の討議があり、多くの時間が取られるので、当初は重要視していなかったのですが、結果的には本音の話が聞けて事業の推進に非常に役立ちました。
さて中間評価の時ですが、情報拠点は他の2拠点に比較すると実績が弱いのではないかという委員からの強い批判がありました。だけどね、配分された金額を比べたら、情報拠点は全然少ないですよ(笑)。それを考えなければいけないと私は思っていました。
予算内で大型コンピューターも買えないとか。
そうそうそう。加えて情報の世界からライフサイエンスの中で領域外でも広く注目されるような論文を発表することは、容易でなかったですね。それに比較すると、解析拠点からは上質の論文がいっぱい出るし、制御拠点の方からはリード化合物の企業導出など華やかな実績が輩出されました。しかし予算の配分から考えても、情報拠点が割を食っているということは、明らかでしたね。にもかかわらず中間評価では情報拠点に関してはかなり厳しい指摘がありましたので、その後の事業では、研究費の増額ということを含めて柔軟に対応をしました。その結果、後半に関しては、PDIS事業の広報などに積極的に取り組み、重要な役割を果たしてきました。これからも情報領域は重要であり、次期事業では解析や制御と同じように強く推進していかなければならないと思っています。それに情報科学や計算科学は、ビッグデータが集積してくるAMED事業を進める以上は、むしろ充実するべきだと。吉田先生もこの分野は、日本の弱点であり、これを克服するためには、経費を10億?20億円と大幅に増額して、MD(分子動力学)ができるような独自のスパコンを購入など積極的に支援すべきであると、いつも主張していましたね。私も同感で、情報領域の拡充は、後継事業の中での役割以外に、AMEDの中の他の事業においても大きく貢献できる余地があるのではないかと思っています。
実は次期事業は、ガラガラポンにしないと公正性・公平性が担保できないと、ライフサイエンス課は表面的にずっと言っていました。その中で我々執行部は、この5年間で問題となってきた点を何度も議論して彼らに伝えるよう努力してきました。もちろん次期事業がどういう形になるかわかりませんけれども、AMEDもライフサイエンス課も我々が作業部会で使った図などを説明に使わせ欲しい、などの申し入れもあったので、PDISについては、いい形の考察ができているのではないかと思っていました。それと拠点責任者たちから強く言われたのは、PDISは全体を俯瞰するのが難しい体制であるので、次期事業に際しては、推移を十分理解している現執行部のメンバーが何らかの形でコミットしてより良い組織を創成してもらいたいと。それでね、こうなったら次の事業全体がうまく動いていくまでの間は、出来るだけ吉田さんとサポートしていこうということになりました。基礎研究として有用なものには国としてちゃんと支援をしていくっていうことが基本姿勢で、その結果として高度化した技術は、次世代に必ず継承していくことが、将来的には、創薬のような応用研究に結び付いていくんだと思いますね。この観点からも、PDISは具体的に大きく貢献してきたと思いますよ。実際、PDISの後継事業は、今後のAMEDの発展に十分寄与するのではないかと思っていますね。多分このことが事後評価委員会の多くのメンバーが、我々の報告書あるいは作業部会での説明等を聞いて、これはガラガラポンにする必要はないのではないかということになった理由ではないかと思っています。それは我々執行部としては嬉しい話でね。せっかく一生懸命頑張ってきたのに終わったら潰れちゃったということじゃ、ちょっとやるせない(笑)。
そうですね、途中で委員長になられて頑張ってこられて(笑)。
そうそう、その上に三人の拠点長がいなくなったという感じでしょ(笑)。でもね、その後、若槻先生、五條掘先生、長野先生の代わりに千田俊哉先生、由良敬先生、小島宏建先生たちが代行として実質的にがんばってこられたので、事業の推進には何ら問題は生じなかったですね。PDISの課題責任者あるいは各拠点推進委員会のメンバーの中には、優秀な方がたくさんおられた。やっぱり、組織を動かす人の力というのが、きわめて大きかったという気がしますね。郷先生は日本のバイオインフォマティクスを強くするために、解析拠点に生産領域・解析領域に加えてバイオインフォマティクス領域を作られたんですよね。だからもし郷先生が委員長をずっとやっていられたら、この領域の推進に力が入っていたでしょうね。私や吉田先生は当初バイオインフォマティクスっていうのは、当初あんまり高く評価していなかったんですよ(笑)。ところが、将来の構造生命科学を考えたら、バイオインフォマティクス抜きでは考えられないだろうという認識が次第に高まってきて、やっぱり次期事業では大型の専用スパコンを導入して、MD解析がちゃんと独自にできるようにする必要がある、というような提案をするまでになってきた(笑)。そういう意味では当初のプログラムでは、あまり重要視されていなかった課題に質的な転換があって、それが結構成功したように思いますね。そしてその結果が質の高い論文になるということで、歯車としては予想外にうまくかみ合ったかなという感がありますね。
ただですね、本事業では、問題点も結構ありました。1つには、公正性を言い過ぎた感があることですね。たとえば、支援申請課題を採択するかしないかを決める課題選定協議会の委員には、この事業に無関係な学識経験者を選んだのですが、そのことは外から見れば大変公正なのですけれども、事業を動かす側にとってはやや負担となってきたのですね。やっぱり依頼した人たちの熱意というのがすごく大事で、同じような依頼案件でも非常に熱意がある場合はいいのですが、とりあえず丸投げしてきて出来なかったら批判するっていうようなことも多々ありました。それでPS/POや拠点責任者らが協議して、課題責任者が最初に依頼者とコンサルティングを密にするというように途中から制度を変えたのです。悪いものはどんどん変えていき、良いものを残してどんどんやっていこうよという形を作ったのです。
途中でいろいろと変わっているのですね。
ええ。それは相当変わっていますよ。たとえば、課題選定協議会は、私が委員長になる前は、この委員会は別の組織だからということで、推進委員会メンバーとは違って、PDIS事業の例会やシンポジウムなどにまったく招聘しなかったんです。でも委員長が私に代わってから、提出された申請書のみから採否を決定するという仕組みは、ちょっとおかしいんじゃないかということになり、課題選定協議会の先生方にも例会やシンポジウムに積極的に来ていただいたり、PS/POや拠点長との討議の場なども設定して事業の内容や推移を十分に理解していただいた上で判断してもらうようにしたのです。
もう1点、この事業の大きな欠点は、支援をやめる制度というのを最初に策定しておかなかったことですね。無償で支援してくれるならば、うまく行かなくても「もう支援は結構です」と断ってくる人は少ないわけですよね。支援する側が、これはモノにならないぞ、と思った時には支援をやめられるということでないと、やはり支援する側の負担が大きくなる。そういう意味で我々は、次期事業では、ヘッドクオーターのような組織を作って、全体を指揮する執行部の力をもっと強くする必要があると主張したのです。それで、AMEDもライフサイエンス課も次期事業ではヘッドクオーター機能を強化することを考えていると聞いています。その時にもう一つはっきり言ったのは、「トップに立つ人がすごく重要で、偏った専門家をトップに据えると自由な形での発展が望めない。だからPSは生命科学に造詣が深い人がいいんじゃないかと。例えば、創薬を志向するからといって、企業での創薬経験者のような人を次期事業のトップに据えたら、このような事業は絶対に成功しない」ということですね。AMEDもライフサイエンス課はシステム作りのプロなので、我々が議論して提案してきた材料は十分にそしゃくしてよい制度を作ってくれるのではないかと期待しています。
その他としては、AMEDの中の事業ですので、どうしても創薬志向型にならざるを得ないが、幅広い視野が必要であるということをいつも言ってきましたね。確かにそういう側面はあると思いますが、私がいつも言っているのは、生命科学の基礎研究といっても本当に重要なものであればその成果は、すべて創薬のような応用につながる、ということですね。例えば、本庶佑先生が単離したPD-1(Programmed cell Death 1)だって、発見当時は、その機能は全く不明だったのですが、欠損マウスの解析から生体内において免疫反応を負に制御していることが明らかとなり、今日、免疫チェックポイント制御を標的とした新しいガンの免疫療法に発展してきたのですね。本庶先生は「種を広くばらまいて、1000個からでも場合によっては10 万個からでも1個でもいいからいいものが出るっていう形の予算配分をしない」と創薬研究などはとても成功しないと基礎研究のあり方について提言しておられます。また本年度ノーベル生理学医学賞を単独受賞した大隅良典先生だってオートファジーの仕組み解明という基礎研究しかやってこなかったのに、ノーベル賞という至高の栄誉を手に入れました。しかしその後、現在では創薬を目指したオートファジーの応用研究が世界でしのぎを削っているわけです。PDISでも構造生物学的な技術の高度化という基礎研究を推進していくことが、生命科学の基盤強化になり、そしてそれが創薬を支援する大きな武器にもなるのだと思うんですね。結局、基盤はやっぱり基礎研究とそれに基づいた技術革新ということではないかと思います。従って、PDISでやってきた高度化の成果は、次世代に継承していくべき大きな財産なんですよね。
ただ、今のところ日本の研究費は米国や中国に比べたら圧倒的に少ないので、やはり限られた資金をどれだけ有効に使うかという議論は当然必要だと思います。だけど「役に立つ」ことばかりに競争的研究資金が配分される政策が過度に重視されると、すぐ目に見える図式が描けないからと言って、基礎研究を軽視するということになり、短絡的な研究ばっかりになってきて、科学の空洞化に繋がるんですね。大隅先生も「自由な研究というのが幅広く広がっていないと将来的な発見、発展につながらない」と警鐘を鳴らしていますね。本庶先生も「幅広い研究をする中から、少数であるが本当によいものが創薬のような応用研究として注目されるようになっていく」と言っておられます。これらの意見の背景にあるのは、基礎研究対する研究費の配分額が全然十分ではないという現実ですね。しかしながらライフサイエンスの基礎研究が重要だといくら主張しても、それだけでは研究費が充当される時代ではなくなってきたのですよ。だからね、私は、このPDIS事業はやはり基礎研究を基軸としていていながら、創薬という成長戦略に結び付く可能性の高い研究を支援する姿勢でよいと思いますよ。そしてその成果が企業導出に結びつき、企業による創薬研究に発展していけばいいと思います。もともと創薬っていうのはものすごくお金がかかるから、この事業で創薬の最後まで行くなんていうことは無理ですよ(笑)。このPDIS事業は、アカデミア創薬というコンセプトを普及させたこととに加えて、構造生物学を中心とした日本の生命科学研究の基盤づくりに大きく貢献したのではないかという気がしますね。
それに、やはりAMEDに入ったから最先端のクライオ電子顕微鏡も導入できたんですよ。特に創薬のターゲットになる膜タンパク質の多くは、よい結晶ができなくて立体構造がなかなか決まらなかったけれど、結晶化をしなくても構造が決まるような時代になってきた。クライオ電顕は本年の4月に導入したから、早くいい論文や創薬につながる成果が出るといいですね。期待しています。でも、クライオ電顕の購入には5~6億円、そしてランニングコストに5000万円位かかるんですよね。いくら有用でもこのような大型機器は個人が獲得した研究費での購入は無理ですし、大学が何かの予算で買ったとしても、維持するのが大変なのです。しかしクライオ電顕は、もう1台購入が強く要望されていますが、このような新しい大型機器の導入に対応するためには、ある程度大きなお金を動かせるAMEDのような組織があるということはいいんじゃないかと思いますね。
また企業からもクライオ電顕を積極的に使いたいという声が多いと聞いています。他方、事後評価においてX線結晶構造解析では結果としてPDISでの企業支援の数が少ないと指摘されたのですが、これには一寸した背景があるんですね。この事業は公的資金で運営しているために、基本的に得られた成果は、(全てではありませんが)公開することが原則で、強く義務づけられてはいませんが、最終的には論文として発表する必要があります。一方、企業は利益を守るために秘密を守ることが必須ですので、企業支援に関しては、少なからずジレンマに陥りました。PDISでは、企業から経済的な支援を受けて、積極的な利用を促すため仕組みとはなっていませんが、SPring-8やPFなどの大型の共用設備は、多額のランニングコストが必要になります。ですから、次期事業ではある基準のもとに企業からの資金を研究費として導入できるというような制度を作ることが必要かなあ、という気はしますね。でも「企業は資金を提供してくれるから大学からの申請よりも企業を優先しましょう」なんていうことになったら本末転倒ですから、そういうことがないように歯止めをちゃんとかけなければいけないと思いますが。我々の議論の中でも、強い権限を持ったヘッドクオーターが存在せず、十分な指導体制が確立していなかったというのがこのPDIS事業の1つの欠陥であったという反省が出ましたね。この点は、何とかして次の事業には生かしてもらいたいということは、AMEDやライフサイエンス課にも強く言ってきました。
お伺いしていますと、ヘッドクオーターのお仕事は大変ですね。
本当を言えば、(PDISではありませんでしたが)ヘッドクオーター制度は大学から派遣された教授が兼任してできるようなものじゃないという意見もありましたね。そうなってくると、じゃあ大学の教授を辞めてヘッドクオーターになりますかっていうことになりますが、そういう人は全然いないですよ。従ってもう少し執行部の人数を増やすなどして、ヘッドクオーター制度を策定し、そこが主導的に会議を定期的・頻回に開催、各事業の進捗状況を適宜に精査すること、すなわち横軸として拠点間の連携を緊密に取り、縦軸としては各実施者にちゃんと事業の意義を浸透させていくという枠組みをきちんと作らないといけないと思いますね。実際、日本の場合は人間関係が悪くなるとかなんとかで依頼者に「これはやめてください」となかなか言えないところがあるから、そういうことがないように、実施者が批判をこうむるのではなくて、ヘッドクオーターの責任で嫌なことも率先してやるという制度の確立っていうのが必要ではないかという議論はしましたね。一言でいいますと、ヘッドクオーターの大幅な権限の強化ですね。次期事業では、是非とも、ヘッドクオーター機能の強化を図ってもらいたいと思っています。
いずれにしてもPDISのように、技術の「高度化」とそれを基盤とした企業を含めた外部研究者の「支援」という仕組みは、繰り返しますが、多分この事業が始めてだったんじゃないですかね。それが成功を収めたっていうのは、PDIS事業の大きな成果だと思いますね。
意識改革ということですね。
そうですね。私はこのPDISが日本の構造生命科学の底上げにきわめて大きく貢献してきたと総括しています。でもやはり研究制度としては、ボトムアップ(自由研究)とトップダウン(出口研究)という2つの制度がうまく絡むことが理想だと思いますね。ただ、今はトップダウン研究がボトムアップ研究に大きく食い込んできているところが問題ですね。また全体の研究費の予算が増えていなくて、物価が上がっているから実際には研究費は目減りしている。これらが日本の科学を脆弱にしていることは、否めない事実ですね。そういう状況の中で、どのようにやるかっていう問題ですね。iPS研究を1つの典型とすれば、AMEDでもそういうブレークスルーがあっちこっちで起きてくれればね。このPDISの後継事業にもそういう成功例がどんどん出てくるっということを期待しています。やっぱり公的な研究費ですから、トップダウン研究では、その成果が国の発展に貢献しうるという観点はどうしても必要なんですね。研究費を増やすためには、成功例をたくさん出さなきゃだめですよ。しかしこれまでの成功例は、ボトムアップ研究から出てきているという例が数多くあるので、現在は、ボトムアップ研究とトップダウン研究の区別とが顕在化しない時代だと思っています。
それとね、PDISでは大型の共用ファシリティー設備(SPring-8やPF、クライオ電顕、化合物ライブラリーなど)があり、その維持や高度化に多額の研究費が必要です。ただPDISでは共用ファシリティー設備費としては計上していなくて、各拠点に配分されているので、外から見ると、予算配分に歪がみえるのですね。事情を知れば、なるほどと思うのですが、やはり透明性は確保しないと、公平ではないとの疑念を持たれる余地がありますね。PDISの仕組みを構想した時、多分予算獲得の戦略としてこのような制度にしたと思いますが、やはり透明性の高い制度にした方がよいと思いますよ。PDISの後継事業では、事業形態を区別するとかして、共用ファシリティー設備の位置づけを明確にしてもらいたいと個人的には思っています。
さらに次期事業ではSPring-8、PF、クライオ電顕、化合物ライブラリーなどの既存の共用ファシリティーの維持・整備の他に、(単粒子解析やトモグラフィー解析の為の)クライオ電顕の充実やMD専用スパコンなどを是非導入してもらいたいと思っています。これらは高額なので、経常研究費からの充当は、困難と思いますが、AMEDからの要求として振興調整費からの確保などが必要かと思っています。必要な最先端機器を充実させないと、世界との競争に打ち勝てないし、若い人たちにも一流の研究ができるという夢を与えることができないと思いますね。
なるほど、そうですね。それではPDISのような事業は若い研究者の力になるでしょうか。
基本的には人材育成につながる事業でなければ、研究の持続性は担保できないと思いますね。実際、PDISでも人材育成のためのプログラムっていうのをどの拠点もたくさん起ち上げてきたのですね。それはやはり人を育てないことには、日本の科学の継続的な発展というのは期待できないのでね。どの分野でも無から有は生じないので、適切な教育は必須ですね。分野によってやり方は異なると思いますが、何れにしても良い教育の仕組みの構築は不可欠です。PDISでは、多くの仲間との交渉の中で、切磋琢磨して、ノウハウを共有して、共同研究を発展させていく。そういう幅広い自由の中で、成長を目指すというのが、人材育成につながるものだと思います。そして優れた研究に衝撃を受けるといった経験は個々人の成長を促すものですし、人材育成は単に知識の詰め込みだけではないと思いますよ。その意味では、PDISのような組織は、素晴らしいと思いますね。ただ予算の制約があるからやむを得ない側面もありますが、期限が来れば「はい終わり」という短絡的な制度は、良いとは言えませんね。
従って受け入れられるかどうかわかりませんが、私が強く主張したのは、プロジェクトが5年というのはあまりにも短いということです。採択が決定しても実際にプロジェクトが稼働し始めるまでには、とくに良い人材を集めようと思うと、やはり1年程度はかかるんですよ。しかし研究期間が5年だったら、4年目に入ると、その事業で雇用されている研究者はもう次の職を探すことを始めなければならないから、実際の研究実施期間は、長くはないのですね。このことを言いますと、以前ライフサイエンス課の方からも「10年事業なんていうのはどうなんでしょうかね」なんていう質問を受けたことがあるんですが、私は、事業の期間を10年にして、4年目の早い段階で評価して、最初採択されたものの半分程度を維持するのがよいのではないかと進言しました。5年目というよりは4年目で判断して、これ以上やっても駄目だというときは、5年目の1年間で人の整理をするっていうことでメリハリをちゃんとつけるという構想ですね。そういうことをするのは実施責任者の方は辛いですよね。知り合いを切らなければいけないということもあるかもしれない。でもそこはちゃんとやる制度にしないと、ということは強く言いました。というのは、事業の成否を決定づける一番の要素は人材ですからね。だって、このプロジェクトで雇用している人は、このプロジェクトが終わったら転出を余儀なくされるのですよね。企業や他の事業に移った後で、「予算取れたから帰っておいで」って言ったって、そう簡単に人は帰って来れませんよ。これはPDISにおいても、実施者からの悲痛な叫びでありましたので、それをうまく吸収しないと研究の継続にならないし、事業の発展につながらないと思います。だからある程度長期間の雇用ができるような制度をどうしても作って欲しい、ということは強く主張しました。ただこれは、長期的な予算の確保が不可欠なので、出口志向がつよい事業では、確立することは難しいかもしれませんね。
若い人ががんばるためのモチベーションですね。
そうそう。それはね、予算を有効に使うという意味でも、人材育成につながるような形での研究費の配分ということを十分意識した上でやらないと。研究費はあるに越したことはないけれど、学術はお金だけではない。研究者は夢があるっていうことで人生そのものを賭けるわけですから、札束でひっぱたいてよい研究ができるということには全然ならないですよ。まあ創薬という面ではやっぱり数十億円?数百億円なかったら達成できないという面があるので、アカデミア創薬ということを十分意識する必要があります。すなわちPDISでもリード化合物の取得から最終着地点は企業導出までですが、ただ提携相手(企業)が見つからない場合でも1回程度は、創薬研究にチャレンジできる予算が欲しいという声は、サイトビジットの折などに実施者からよく聞かされましたね。
PDIS事業も残り数か月を迎えましたが、これまで本当にいろいろなことがあって、とてもお忙しくて大変であったということがよくわかりました(笑)。最後に今までを振り返っていかがですか。
吉田先生といつもよく言っているけど、本当に忙しかった(笑)。そして私はAMEDがこれから本格的に動きだしている時期ですので、PDISがこれまでに継承し発展させてきた技術をさらに拡大していく価値は十分あると思うので、何とかAMEDの中で、中心的な役割の一翼を担う方向で飛躍的な発展を遂げるということを強く熱望しています。
AMEDも発足して2年目ですね。
そう、これからですよ。そしてPDISには今までになかった仕組みを導入したわけですから、PDISもタンパク質支援事業の第3期がこれで終わったのではなくて、新しい事業の1期目が終わって今度は2期目に進んでいくんだという意識が必要だと思いますね。そういう意識になってやっていこうと、これまで私はことあるごとに言ってきました。そしてこの事業の将来像としてさらに第3期、第4期とつなげていければと願っています。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
補記:このインタビューは2016年末でしたので、PDIS後継事業の動向について、全く知らない状況で行われました。現在、平成29年度の「創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業」の募集が始まっています。募集要項をみますと、このインタビューで述べた事項とは、若干の齟齬も見受けられますが、我々が主張してきたことの多くが次期事業の基本的な構想に反映されているように思われます(このインタビューは、私の個人的な感想を述べたものですので記憶違いや事実誤認なども多々あるかと思いますが、この点はご容赦ください)。
(田中)