2015年11月30日取材
先生が研究者となられたきっかけはどのようなことでしょうか。
僕が研究者になったのは、なろうと思ったというより、気が付いたらここにいたという感じなんです(笑)。実は、僕は高校の2年生までは文系志望で、弁護士になって法医学に関わるようなことをやりたいと思っていました。でも高校3年生になる時に理系の方がいいという気分になり、進学希望を文系から理系に変えたんです。法医学に興味があったので医学部というのも考えたのですが、小さい頃から注射が嫌いで、それでそっちの方はどうも(笑)、というので医学に近い東大薬学部を選んだというわけです。
研究室を選ぶときには、僕は脳神経系に興味があったので、そっちの方に行こうと思ったのですが、当時はまだ脳をやっている研究者って少なくて、しかも薬学部には一つしか脳を専門にやっている研究室がなかったんですね。その上にその研究室はすごく人気があって希望者が多かったんです。どうしようかなと思っていた時、東大医学部を出られて臨床から薬学部に移ってきたばかりで、アルツハイマー病の研究をやっておられた岩坪威先生にお会いしたのです。その時の岩坪先生がとても感じが良くて印象がよかったので、先生の所に行くことを決めたんです。それがアルツハイマー病との出会いでもありましたね。でも、その時は研究者になるなんて思っていなくて、卒業したら普通に会社に勤めることになるんだろうと思っていました。それなのに始めたらずるずるとそのまま進学して今まで研究を続けている(笑)。
アルツハイマー病って最初の症例が報告されてからもう100年位たつんです。今では発症の仕組みがいろいろとわかってきて、いくつかのお薬が出てきていますけど、いまだに根本的な治療薬は開発されていないんですね。かつて僕たちはアミロイドというアルツハイマー病の原因物質を作り出すγセクレターゼという酵素の抑制剤の一つを薬にしようとして、薬となる直前までいったことがあったのですが、副作用の問題があって残念なことに最終的には薬にはならなかったんです。でも実は祖母がアルツハイマー病ということもあって、副作用のない治療薬を作ることができればと思って今でも取り組んでいるんです。
確か先生は自閉症に関するお仕事もしておられるとお伺いしたことがありますが。
そうなんです。たまたまなんですけどね、ある種の自閉症の原因タンパクが、アミロイドを作る酵素によって分解されているということがわかったんです。自閉症のすべてでそうなっているかはわからないのですが、それでもある種のものではアルツハイマー病と同じようなメカニズムが働いている可能性があるということで、アルツハイマー病で得た様々な方法を応用して治療薬にまで結び付けられればと思い研究を始めたんです。これまでアルツハイマー病の研究で培ってきたノウハウを生かして役に立つことができたらと思っています。
話は少し戻りますが、研究を始められて何か転機がありましたか?
大学院を出てからアメリカに留学する機会があったんです。その時やっていたアルツハイマー病に関係する仕事をしている研究室はたくさんあったのですが、どうもピンと来なくて。それで他にどのようなところに行くかを考えた時に「これまでとはまったく違うことをやってみよう」と思い立って、面白そうなことを探したんです。その結果、発生学をやろうと決めて、アメリカ中西部のセントルイスにあるワシントン大学医学部のRaphael Kopan教授の研究室に留学することにしたんです。そこの研究室では、発生、分化に関わるNotchというタンパク質を扱っていました。Notchはいろいろな臓器で発現しているので、当時それをノックアウトしたらどうなるかという実験を、ポスドクひとりあたり一つの臓器をテーマとして取り組んでいました。僕は脳神経系に興味があったので神経系を選んだんですが、やってみてすぐにこれは僕に向かないということがわかりましたね(笑)。実験のテーマが悪いとかそういうことではないんです。僕のタイプではない。そのおかげで僕はこれから何をやっていきたいのかということがはっきりと見えた。基礎でも、原理原則を追及するというより、何か薬のような役に立つことに結び付くような仕事がしたいのだ、ということに気が付いたんです。それが転機と言えるでしょうね。
それに、この留学は手掛けたテーマは僕のタイプではなかったけれど、研究の方では有意義だったんですよ。何しろワシントン大学医学部はアメリカ国内の医学部の中でも上位にランキングされる大学なので、そこでいろいろな素晴らしい先生方に巡り合うことができましたから。たとえば、扱っていたタンパク質の複合体の構造を電子顕微鏡で見ることができるかもしれないということになった時、すぐに急速凍結ディープエッチレプリカ電子顕微鏡法を開発したJohn Heuser先生を紹介してもらうことができました。それで連絡を取ったらすぐに見てやるから試料を持って来いと言われたので、遠心して回収した試料を持って行ったら 、「試料を遠心にかけたらタンパク質の形がゆがんでしまう」と、初っ端から怒られましたけれどね(笑)。今なら、Johnはタンパク質の構造に関して細やかな神経と一種の美学を持っていることがわかっていますから、そんな風に怒られても驚きませんけど(笑)。そんなことはありましたが、留学を終えて帰国するまでにはJohnとは実験の話ができる関係になっていました。
その頃から構造解析の方にもかかわっておられたのですね。
そうですね。ただ、当時は構造と言ってもNature, Scienceで目にするような X線結晶構造解析というのは、僕にはちょっと遠い存在でしたね。周りにはやればいいのにという意見もあったのですが、実際にやるとなるとちょっと手が出ないっていう感じで。でも、電子顕微鏡での構造解析は単粒子解析も含めて始めていました。今でも単粒子解析を介して佐藤主税先生や藤吉義則先生といった先生方とつながりがあります。それに、そういった構造解析だけではなく、システインを用いた部位特異的変異導入法で構造決定をしていたこともあったんですよ。一つ一つ部位特異的に変異を導入して、実験手法としてはなかなか大変だったですけど今思えば懐かしいですね。そういえば、先日その方法を用いてLacYの構造を解いたRonald H. Kaback先生とたまたま中国でお会いする機会があったのです。その時にはRonと実験の苦労話で話が盛り上がりました(笑)。今では阪大蛋白研の高木淳一先生と共同研究をするようになって、単粒子解析とかだけではなくX線結晶構造解析も手掛けるようになりました。それに現在、うちのポスドクだった人が構造をやりたいと言って高木先生の所にお世話になっているんです。
先生はいろいろな先生方と共同研究をなされているのですね。
一人でできることは限られていますから、やりたいことをしようと思った時にその道で仕事をしている人に声をかけて共同研究をするというのは、有意義だと思っているんです。僕は外部で開かれるセミナーとか講演会に行って面白そうな話を聞くと、その場ですぐに自分から声をかけていくんです。そのせいかよく年齢不詳、国籍不明とも言われますけどね(笑)。でもそのおかげでいろいろな研究者の方と知り合いになれて、中には共同研究をするところまで行くこともあります。だから他の研究室の先生と共同研究するというようなことは、僕にとってそれほど特別なことではないんです。
創薬等支援技術プラットフォームでは技術支援が一つの大きな柱なのですが、すでに先生の場合はご自身で開拓していらしていたという訳ですね。
カッコよく言えばそうかもしれないけれど、自分一人で何でもできるわけではないし、時間も限られているので、結局は人と人とのつながりがとても大事だということだと思います。先ほども言いましたけれど、一人の人間ができることには限界がありますからね。これまでに知り合いになった先生方の中にはプラットフォーム事業が立ち上がる以前の、ターゲットタンパク研究プログラムの頃に出会って、その頃からすでに共同研究をしているという先生方もいらっしゃいます。自分たちではうまくいかなかった非天然アミノ酸導入の実験を横山茂之先生にお願いして、こちらではうまくいったということがありました。その他にもこのプラットフォームに関わっておられる菅裕明先生や宮地弘幸先生もこの事業が始まる以前から存じ上げていますし、共同研究もしました。それにすぐそこの同じ薬学研究科にいる小島宏建先生は同級生ですしね。知り合いになってからしばらくお会いしていない先生もいらっしゃいますが、それでも一緒に論文を書いた先生方を僕は戦友だと思っているんです。論文がすぐに通らなくて、リバイスとか何かでどうしようとぎりぎりまで一緒に戦ったということで。これは僕が勝手に思っているんですけどね(笑)。
先生はこの創薬等支援技術プラットプラットフォームの支援をどのよう思われますか。先生のように自分から声をかけていかれるような場合には、共同研究者を探す方法の一つということになるのかもしれませんが。
僕はこれまでもいろいろなところで出会った人に自分から声をかけて共同研究をしてきたということはありますが、それでもプラットフォームでの支援事業のように、「このようなことができますよ」ということを事前に提示してもらえれば、それは楽ですよね。というのは、たとえばX線結晶構造解析をやっている先生と出会っても、「私は膜タンパク質はやったことがないんです」と言われたりすることもあるし、有機合成をやっているということはわかっても、具体的にどのような化合物の合成が得意なのかわからない、なんていうこともありますからね。同じ方法でも、先生方によって得意とする分野が違っていることがあるのです。特に新しいことをやろうとする時には、普通そこまですぐにはわからないことが多いですよね。そういう意味でも有意義な事業だと思います。
薬学や医学の世界は製薬会社とか患者さんといったアカデミックな世界と異なる世界とつながっていますね。
確かに製薬会社は基礎の分野とはやっていることが違いますね。目的のために基礎の世界では考えられないようなことをやっている会社もあると聞いたことがあります。たとえばベンゼン環の6個の炭素に何かを付けようということになった時に、研究者一人が一つの炭素を担当して6人でいろいろな化合物を考えて、それらを全部試すとか。商品化してお金になるということと直接つながっているせいでしょうね。それと、薬を目指すということですから、臨床に近かったりはしますが、でも基礎は基礎ですよ。
基礎の分野で、あることを集中的に深く掘り下げるような研究をなさっている先生はすごいと思いますよ。そういう先生の仕事は製薬会社がやっているような仕事とは全然違いますけど、その先生が当たり前と思っているようなことが、見方を変えると大変な価値があることがあるんですよね。研究はやっぱり基礎が大切なんです。基礎がなければ発展はないんですよ。でもそういった基礎研究がそのまま外の人に知られなかったら何にもならないでしょう。だから多くの人の目に触れるような、人との交流が大切だと思うんです。僕自身は原理原則の解明を目指して一つのことをコツコツとやるという集中型の仕事は向いていないのですが、逆に基礎の仕事をうまく生かして、役に立つことに結び付けるような仕事ができればと思っているんです。
製薬会社とは違うやり方で創薬につながっているとも言えますね。
そうなんです。それと薬を目標とする以上患者さんとか症例といった臨床にかかわることも無視することはできませんね。前に薬で実用化を断念した苦い経験もありますし。
薬を作るというのは本当に大変なようですね。
そうですね。それに、脳の病気って今でもまだわからないことが多いんです。脳の場合、薬が効くって言っても酵母やマウスのレベルとヒトでは同じと言えるかどうかわかりませんしね。祖母がアルツハイマー病の治療のためにいろいろな薬を飲んでいるんですけれど、ある薬では興奮したような状態になるんです。それはアルツハイマー病の症状からすると良い方向に効いているともいえる状態なんですけれど、看護する側からすると扱いにくくて困るということになる。ヒトが人らしく生きるための薬というのは更に難しいですね。倫理の問題も入ってきますしね。
確かに薬を作るということにはいろいろな問題が含まれているのですね。本日はお忙しいところを貴重なお時間を割いていただきましてありがとうございました。